today::エンジニアに憧れる非エンジニア

今のところは、エンジニアとは言えないところの職種です。しかしエンジニア的なものの考え方に興味津津。

私が共感する文書

プログラマーだけがやっている効率的な仕事のやり方 (清水 亮、WirelessWire News、2015-08-26)

残念ながらGitはプログラマーが使いこなすのもやや難しいという説もあるので、生半可な覚悟では対応できないだろう。 そのうちOffice365とかで簡単にGitみたいなことができるようにならないのかね。

仕事相手がNTT地域会社オンリーワンで、特に新しい事業の開拓もなく、強固に定まった業界構図の中で与えられた仕事をする職場。新卒から20年以上を、外部における仕事の進め方への興味関心も薄い社内で過ごしてきた人。 そうした人たちを相手に、私がGit駆動のビジネススタイルを社内展開できるかというと、できそうにないというのが正直なところです。

しかしバージョン管理システムもない世界でExcelやWordにパスワードかけて送ったりしてる世界はやっぱり牧歌的ですよ。

私はこのような現状に強く疑問を持っています。けれども周囲の人たちが同じような疑問を持っているかというと、持っていそうにはない、それが現職における現状なのです。

非・職業としての鉄道(鈴谷 了、2002-06)

公開時期は2002年6月のようです。ずいぶんと古い文書ではあります。しかしながら、その内容は今も十分通用するのではないでしょうか。

私にとって、鉄道趣味に関する基本認識を作り上げたと言ってよいのがこの文書です。

つまり、大多数の鉄道愛好者は常に鉄道を「外から」見ている。もちろん、「利用者」あるいは「模倣者」として限りなく「内」に近い部分に行くことはできるが、あくまで「外部者」であることに変わりはない。いいかえれば、自分が入ることのできない自己完結した「世界」を常に外部から「観察」することによって成り立つ趣味ということだ。

これは鉄道趣味に限らず、たとえばミリタリー趣味などもそうした性格を持つ。ただ、鉄道はその「敷居」がきわめて低いことと、「世界」内の多様性が広いという点で際だっている。前者から説明すると、日本の場合ほとんどの大都市では鉄道は日常的に見聞できるし、廉価な運賃で利用可能である。つまり、ほぼ万人に開かれている。(それが公共交通の性格だが) 後者は、鉄道を運行するための技術工学的な側面(車両や線路)、駅舎や車両のデザインという建築学的な側面、実際に列車を運行するための制度的な側面(運賃・料金・ダイヤ・列車種別など)、書物としての時刻表や乗車券類などの書誌学的な側面、果ては駅弁や食堂車のメニューといった食文化的な側面まであり、それらすべてのジャンルごとにその歴史を語る側面がある。しかもジャンル自体もさまざまな区分によって細分化されている。多くの鉄道愛好者は個人によって偏りはあるにせよ、これらの側面の複数について関心を持っている。

  • 敷居の低さゆえに、社会生活に支障をきたすような特性を持った人でも鉄道趣味を楽しむことができる
    • 鉄道趣味はモノを所有しなくても成立するので、財力が不要
    • 鉄道趣味はスキルと深みがリンクする趣味ではないので、スキルも不要
    • 鉄道趣味は最低一人で成立するので、コミュニケーション能力も不要
  • 世界内の多様性ゆえに、鉄道趣味は自己完結できてしまう
    • 外からどう見られているか、ということに関心が及びづらい

上述箇条書きあたりが、今私が鉄道趣味に対して認識している事柄です。

鉄道会社と鉄道ファンの関係性

鉄道愛好者は膨大な鉄道利用者の一握りに過ぎないという事実だ。鉄道事業者にとっては、好むと好まざるにかかわらず鉄道を利用せざるを得ない非・鉄道愛好者よりも彼らの意見を優先する理由は何もない。かくて、鉄道愛好者の切実な「社会へのアピール」は、いわば「片思い」のような扱いを受けることとなる。

杉山淳一氏も、自らのコラム(鉄道ファンは悩ましい存在……鉄道会社がそう感じるワケ (3/5) - 杉山淳一の時事日想 - ITmedia)で、同様の問題について以下のように提起しています。

コミック、アニメなどの提供者にとって、ファンは重要なお客さま。いや、お客さまそのものだ。しかし鉄道会社にとってお客さまとは「通勤通学や用事、旅行で列車に乗ってくれる人」である。鉄道ファンは鉄道会社のお客ではない。

「お客ではない」とまで言ってしまうのは少々語弊があるように感じます。しかしながら、鉄道会社にとって鉄道ファンは、少なくとも主たる収益源でないというのは確かなのでしょう。

「私設大本営」問題とか

ちなみに『AERA』で斎藤美奈子が取り上げた『鉄道ジャーナル』は、鉄道趣味雑誌の中でもっとも鉄道施策を論じる傾向が強い。だが斎藤からはそれが鉄道会社の主張を読んでいるようだと揶揄された。もっと純粋に「鉄道趣味」に徹すればよいのに、というのが斎藤の言わんとするところに思えるのだが、ここまで書いたような鉄道愛好者のジレンマと屈折を彼女が理解していたかどうかは興味のあるところだ。

2019年4月頃、Twitter上の鉄道趣味者の間で、「現在の日本に食堂車やビュッフェを導入できる可能性」についての議論がありました。その中で出てきたのが、「私設大本営」という言葉です。大雑把には、「鉄道ファンによる、鉄道事業者の意向を忖度して代弁するかのような論調の議論展開」を指します。この言葉を聞いて私が思い出したのが、鈴谷氏の文書の上記記述でした。

  • 鉄道愛好家の、日本の鉄道に対して感じるジレンマと屈折
  • 日本の鉄道事業が全体的には衰退期であるがゆえの、現状維持を最善とする思考の強まり

このあたりが「私設大本営」問題の根底にある気がします。