today::エンジニアに憧れる非エンジニア

今のところは、エンジニアとは言えないところの職種です。しかしエンジニア的なものの考え方に興味津津。

「叱る」ということについて考えてみた

背景

11月8日金曜日の夕方、職場で「自分のPCが原因でセキュリティインシデントを発生させてしまう」という事態がありました。突っ込まれ所は色々と思い当たるのですが、それ以上に所属部署内における叱り方に強い疑問を感じました。なので、「叱る」ということについて調べ、考えてみました。

叱ることの基本

相手の成長が第一義

叱ることは、相手の成長を第一義にしたものでなければならないと思います。ここでいう「成長」というのは、私自身としては以下の2点であると考えています。

  • 同じミスを繰り返さないようにする
  • 類似する場面でどう判断・行動したらいいか習得する

叱る難しさ

  • 不適切な叱り方をする
  • 不適切なタイミングで叱る
  • 適切なタイミングで適切に叱れない

これらはいずれもリーダーとしての資質を疑われる行動であると考えています。

叱ることの教育効果を最大化することを考えると、「ミスがあったら、直ちにその場で叱る」というのは重要です。前提知識がきちんとあり、外部が十分に納得できる線引きができているならば、パワハラを過度に恐れる必要はないと思います。一方で、「その線引きは、本当に外部から見て納得できるものであるのか」という問いかけは、常に必要なものであると思います。

上手な叱り方のポイント「かりてきたねこ」

帝京平成大学 渡部卓教授は、リーダーがメンバーを叱るときのポイントとして、「かりてきたねこ」を説いています(部下を叱るときは「かりてきたねこ」を心得よ:日経ビジネス電子版)。「かりてきたねこ」というのは、以下7つの重要事項の頭文字です。

  • 「か」感情的にならない
  • 「り」理由を話す
  • 「て」手短に
  • 「き」キャラクターに触れない
  • 「た」他人と比較しない
  • 「ね」根に持たない
  • 「こ」個別に叱る

「か」感情的にならない

叱りという名の怒りをぶちまけない

叱りという名の怒りをぶちまけてはいけません。意味がないどころか、さらに悪い結果につながる危険があります。

叱りという名の怒りをぶちまけたらどうなるか。怒りをぶちまけられた側はただ萎縮するのみであり、今後の改善につながりません。さらに、怒りをぶちまけられた側が怒りをぶちまけた側に反感を持ち、中長期的に禍根を残すという事態にもつながりかねません。職場やチームに不毛な対立関係があっては、うまく進むはずの仕事もうまく進まなくなってしまいます。

興奮

「怒鳴る」という行動は、自分を更に興奮させます。ネガティブな感情を持った状態で興奮してしまうと、不適切な発言をするリスクは増大します。相手の人格を否定するような発言、相手の属性を否定するような発言…正真正銘のパワハラですね。

「叱る」と「怒る」は異なる概念である

特に、「叱る」と「怒る」は異なる概念であることは強調しなければなりません。「叱る」というのは、あくまでも相手の成長のためにするものである(for you)というのが第一義です。一方で「怒る」というのは、自分の苛立ちを解消するために相手にぶちまけるものである(for me)というのが第一義です。「怒る」というのは、明らかに感情的な反応です。

「り」理由を話す

どうして叱っているのか、それを明確に伝えるのは叱る側の責務です。「どうして怒られているのかわかるか」と問うような叱り方はご法度です。

叱られる側が「どうして叱られているのかわからない」と感じてしまうと、中長期的に悪影響を及ぼす認識が叱られる側に定着してしまう危険があります。「自分はあの人に嫌われている」「理不尽に怒られている」などです。

叱る基準が一貫していないのは、最悪のパターンと言ってよいでしょう。「昨日と今日で言っていることが正反対だ」というようなパターンです。叱られる側が「あの人は気分で叱る人だ」と見るようになってしまうと、どんな言葉も響かなくなります。

「て」手短に

長々と説教しても叱られる側には伝わりません。そればかりか、長々と話しているうちに、主題がどんどんずれていってしまうものです。

あまり長く叱ってしまうと、叱られる側が改善しようという気力を失ってしまいます。ただ「長々と叱られている」という記憶のみが残るのです。

ネガティブな事実に長くとらわれるのは、叱る側・叱られる側、互いにとって時間の無駄です。人生に与えられた時間は有限ですし、一つの仕事にかけられる時間はそれ以上に限られています。

特に男性相手の場合、叱るのは3分を限度にするのがよいようです。3分を超えると、反省より不満のほうが募ってくるのだとか。

「き」キャラクターに触れない

叱られる側の人格や属性に言及するのは、意識的に避けなければなりません。他人の人格や属性を否定する資格は誰にもないですし、相手にとって何が地雷であるかはわからないものです。「世の中の多様化が進んでいる」と言われる昨今にあってはなおさらのことです。

叱るのは行動だけにしましょう。それも現在の行動だけです。他人と過去は変えることができません。

叱られる側の人格や属性を否定する言動をとってしまうと、最悪の場合、刑事事件にも発展しかねません。罪名で言えば「侮辱罪」「名誉毀損罪」が該当しうるかと思います。

「た」他人と比較しない

他人と比較されても、叱られる側にはどうしようもありません。誰かが他の誰かとまったく同じように振る舞うことはできないのです。育ってきた環境も考え方も一人ひとり違いますし、場合によっては時代背景だって違います。

他人との比較は、相手の自尊心や名誉を過度に否定しかねないものです。「比較」というのは、一面的なものでしかありません。比較対象にされた人にだってできないことはあるわけですし、比較対象にされた人より叱られる側の人のほうが優れていることだってあります。叱られる側に無駄に悪感情を引き起こさせるような言動は慎む必要があります。

他人と比較して叱ることが、叱られる側の人と、比較対象にされた人の人間関係に悪影響を及ぼす事態も考えられます。

また、褒めるときも「他人と比較しない」というのは重要です。

「ね」根に持たない

叱る対象は現在の事実のみです。過去の事実をほじくり返してはいけないですし、過去を向いた言い方をしてもいけません。さらに言うならば、話の組み立て方も未来志向でいきましょう。

過去の事実をほじくり返す叱り方をすると、叱られる側が自分や組織に対するネガティブな感情を強め、逆効果になってしまう危険すらあります。ネガティブな感情というのは、「この組織において、自分は低い評価が定着している」「自分はこの組織から信頼されていない」などです。そうした認識を持ってしまっては、今後問題に直面したときに、あきらめや感情的行動に走るリスクは高くなってしまいます。

過去の事実をほじくり返す叱り方をすると、叱られる側の考え方によっては、「今後ミスを隠そうとするようになる」という危険性もあります。過去のミスは増えこそすれ減ることはありません。「報告することによって過去の事実をほじくり返される」というのでは、誰も積極的に報告しようとはしなくなるでしょう。

「こ」個別に叱る

大勢の前で叱ることをやってはいけません。叱られる側はただでさえミスをして落ち込んでいるのに、大勢の前で叱るとさらに追い打ちをかけてしまいます。叱られる側の名誉や自尊心を過度に傷つけてしまいます。

「直ちに、その場で叱る」というのは叱り方の原則ですが、「個別に叱る」という原則を崩してはなりません。「他に誰もいない場所に呼び出して叱る」等の配慮は必要です。

その他のポイント

叱られる側が主役でなければならない

叱る側は、あくまで叱られる側に主体的に考えさせるように仕向けるのが仕事です。

「あなた(You)」を主語にするのは意識的に避けましょう。自分の考えを相手に押し付けることを避けるためです。主語にするなら、「発生した事態」そのものです。

叱られる側に非があると決めつけない

そうした決めつけは、陰に陽に相手に伝わるものです。叱られる側がそうした決めつけを感じてしまうと、自己防衛ありきになってしまい、その時点から実のある話はできなくなります。

叱られる側の話をまずは一通り聞きましょう。叱られる側の言い分から新たな気づきが得られる可能性もありますし、もしかすると叱る側に非があることに気づくかもしれません。

叱るときは上からではなく対等な目線で

職位の差は、人間としての優劣の差では決してありません。「叱る」ということの本質が「相手の成長が第一義」である以上、そこに権威関係を持ち出すことに意味はないですし、権威関係を持ち出すと、叱られる側に反感を持たれるだけであると思います。

「自分がどうしたいのかを率直に伝える」のが重要である

このような場面において、相手に対する忖度は不要です。「言いづらいことであるがゆえに、妙に持って回った言い方になる」というパターンは、意識して避ける必要があると思います。

相手の雇用や地位を脅かすような叱り方は絶対に避けなければならない

  • 次やったらクビ
  • 辞めてもらわなきゃならんな
  • (理由を話さずに)仕事から外れてもらうぞ

以上のような叱り方は論外です。パワハラに確実に該当しますし、叱られる側にネガティブな感情が残ってしまいます。中長期的に禍根を残すことになるのは間違いないと思います。

もっと言うと、「叱る」という言い方すらふさわしくないのかもしれない

「叱る」という言い方は、どうしても「叱る側が上、叱られる側が下」という上下関係の存在がイメージされてしまいます。「対等」ということを突き詰めていくと、「指導する」というような言い方のほうが適切であるかもしれません。

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